映画「ひめゆり」
2008年 12月 01日
映画上映の主催は「核兵器廃絶平和富士市民の会」で、富士市の「核兵器廃絶平和都市宣言23周年記念」事業として開催したものだ。
昼間の「教育シンポジウム」も同じラ・ホールだったが、この「ひめゆり」は、とてもせつなく、重い映画だった。
第二次世界大戦末期の沖縄で、女学生達が戦場動員され、献身的な看護活動の末、その多くが亡くなった「ひめゆり学徒」の生存者の皆さんが語るドキュメンタリー映画だ。
ナレーションは一切無い。22名の生存者の証言だけで構成されている。
映像は、ひめゆり学徒の一人ひとりの写真とアメリカ軍が撮影した沖縄戦の記録映像だけだ。
軍艦、火炎放射器、圧倒的な軍隊により攻め立てられる中で、壕の中の野戦病院での想像を絶する看護活動と人々が亡くなっていく様子が語られる。
看護の勉強などしたこともない中で、初めて兵隊=人間の死の場面に立ち会った恐怖心が、たった2ヶ月の間で、人の死やその遺体の処理が当たり前のこととなっていったと言う怖さ。
「日本は負けることは決してない。もし、捕虜になるなら自決せよ」と教えられ、そのつもりでいたが、アメリカ軍に追い詰められ、銃で撃たれたとき、誰もが「助けて」、「お母さん」と言いながら死んでいった。
どの話も、見る側にグサリ、グサリと突き刺さってくる。
生き残った「ひめゆり学徒」の皆さんが、過酷な記憶を掘り起こし、自らの言葉にできるまで40年以上かかったそうだ。
多くの方が「自分だけが生き残ってしまった」と自らを責めて生きてこられた。また、いまだに引きこもったままの方もいるそうだ。
チラシに書いてあった歌手のCoccoさんの言葉が忘れられない。
「『忘れたいこと』を話してくれてありがとう。『忘れちゃいけないこと』を話してくれてありがとう」
ひめゆり学徒の皆さん、全員が若い16~19歳の当時の写真で紹介される。
ほとんど全員の方が、それが生きていた最後の写真だ。
戦争は全てをぶった切ってしまう。それも最悪の形で。
そんな形で死を迎えないために、人類はいやな国どうしでも、互いにコミュニケーションを交わし、工夫しなければならない。
「市議会議員として何ができるだろうか?何をしなければならないだろうか?」と考えなければいられない2時間10分だった。
by koike473 | 2008-12-01 23:43 | 季節・四季・日常 | Trackback | Comments(0)