「新」富士市合併記念式典
2008年 11月 04日
自転車で行こうと思ったが、午後からは新富士駅で開かれている「紙バンド教室」に行く予定もあったので、早めに車で出かけた。
市役所を過ぎた交差点で市のI部長さんに会うと、「もう駐車場は一杯だから、市役所に停めた方がいいですよ」と言われた。
市役所に停めてロゼに向うと、確かに開式20分前だが、駐車場は一杯だ。でも、どうやらこの車は、別の催し(女性グループの公演があり、その追っかけ男性達の車?)の影響らしかった。
記念式典は、中ホールで行われ、富士木遣愛好会の木遣披露で華やかに始まったが、客席は6~7分の入りだ。
総務省の室長を始め、県知事、代議士等、多くの来賓の方々が見えた。
合併に尽力された方々の表彰が行われたが、最も苦労されたのは(既に「前」が付いてしまうが)富士川町長の坪内伸浩氏だ。
坪内さんは、私の高校のハンドボール部の大先輩だ。
私が高校生の頃は、監督がハンドボールの専門の先生だったので、直接OBの先輩方に指導を受けることは少なかった。
しかし、1~5年位上の人達は、監督が専門の先生ではなかったこともあり、ほとんどの指導はOBの方々から受けていた。
そうしたOBのまとめ役が、高校から明治大学に進み、本格的なハンドボールを経験した坪内さんだった。
先輩達からは、言葉では表現できないような「厳しい指導」をされた話(今考えれば、ずいぶん尾ひれが付いた話もあっただろうが)を何度も聞かされ、高校時代は、「坪内さん=おっかない権化のような先輩」のイメージだった。
写真向って右側が坪内町長
しかし私が大学を卒業し、富士に戻り、OBチームでプレーしたり、OB会に出るようになると、イメージは一変した。
先輩・後輩の関係や節度はもちろんわきまえているが、どのOBも、社会人として対等のお付き合いをさせていただいている。
中でも坪内さんは、OBの皆から「坪さん、坪さん」と慕われて呼ばれ、またいろいろな面倒を見ていただいている。
私は、前職の関係で富士川町の仕事をしている時、何度か町長室に寄らせていただいた。
「おい小池、議員の時はハンドボールのフィールドプレーヤーのようにガンガン攻めるだけでよかったけど、町長になったらゴールキーパーだ。どこからシュートを打たれるかわかんないから大変だよ」とよくおっしゃっていた。
町内には、合併に際し、いろいろな意見があったはずだ。
かつて後輩にハンドボールの指導をしていた時代なら、「ふざけるな!もうやめた、やめた!」となっていたかもしれない。
我慢に我慢を重ね、この日を迎えられたことだろう。
本当にご苦労様でした!
by koike473 | 2008-11-04 23:25 | 市内外のイベント・行事 | Trackback | Comments(2)
なんとなく富士川で分かれるという認識が子どもの頃からあるので、なかなか慣れるまでは、富士川町と呼んじゃいそうです
旧吉原と旧富士が合併しても、なんてなく吉原の方とか、富士の方とかまだ言いますよね
早く慣れなきゃですね
でも、一つの市の中でも、地域ごとの考え方や風習も違うので、それはそれでずっと引き継がれていくのも仕方がないのかと思います。
旧富士川町エリアは、これからも「旧富士川地区」でいいんだと思います。
私達の孫の世代くらいになって、やっとそんな意識も薄らぐのでしょうね?