吉原商店街振興組合で視察 飯田市(長野県)
2008年 08月 06日
この日は、長野県飯田市だった。
飯田市は「人形劇のまち」としても有名だ
飯田市は、5月に議会で私が所属する会派で視察に行ったが、私は「悪性の風邪」で行くことができなかった街だ。
富士市からは、直線距離では90kmだが、電車でも車でも4~6時間はかかるところで、「もう行くこともないだろうな」と思っていただけに、ラッキーだった。
長野県の南端に位置し、浜松に流れる天竜川の中流部にある人口10万人の地方都市だ。
視察の受入れをお願いしたのは、「㈱飯田まちづくりカンパニー」だ。タウンマネージメント吉原と同じTMOだ。
まちづくりカンパニーの事務所。昭和20年代の大火により、飯田市街地はほぼ全体が焼失したが、昔ながらの土蔵だげが残り、現在は、土蔵を活かしたまちづくりが展開されている。
しかし、タウンマネージメント吉原が「企画調整型」、つまりハード事業は行わず、計画づくりやイベントなどのソフト事業を中心に行うのに対し、飯田まちづくりカンパニーは「事業型」、つまり行政、企業、市民などが出資してつくる第3セクターとして、再開発事業も自ら手がけていく組織という点に大きな違いがある。
飯田まちづくりカンパニーのコンセプトは「まちづくりのマルチカンパニー」で、以下の4部門を大きな柱としている。
・シンクタンク部門・・・中心市街地再生の調査・研究・企画
・事業部門・・・自らが再開発の事業主体となる
・プロデューサー部門・・・民間の事業投資を支援・アドバイス
・直営店の出店、イベントの企画・実施など
説明いただいた取締役事業部長の三石氏は、たんたんと説明したが、「どうしてこの短期間にこれだけ事業化できたのか」と驚くばかりだった。
これまでに計3棟の再開発ビルが完成し、どのビルもしっかりテナントが入っている。
うち2つは法定再開発だ。市役所、市立美術館、地元信用金庫本店など、確実な公的機関が床を買っている。また高層部のマンションは、前日に行った柏崎同様、飯田市で最初の都市型マンションで、ほぼ即日完売だったそうだ。
またもう1つは、都市計画上の位置付けはないが、「優良建築物等整備事業」を活用した再開発ビルだ。公的機関はないが、民間の健康・福祉サービス企業やケア付き高齢者賃貸住宅などが入っており、これは建設前から、いわばキーテナントとして決まっていたはずだ。
また、街を歩くと、いわゆる「空き店舗」がとても少ない印象だ。道路を通行する車や人は少ないが、中心市街地の商店街はシャッターが目立たないのだ。
南信州・伊那谷地域の中心都市だからだろうか?
確かに、地域の中心都市の中心市街地だから、そこに公的機関が集中し、床を買いもしただろう。
この疑問は解けないままだ。
リンゴ並木で説明する三石氏
三石氏は、「私たちは、ただ中心市街地活性化基本計画に沿ってそれを実行しただけです」と何の気負いも見せずに言う。
そして、「成功事例を目の前で見た隣接街区の人達が、『今度は俺のところを』と言ってくるので、次の仕掛けを考えているところです」
しかし、再開発全体の調整を行ったり、また再開発組合員の一人、つまり権利者の立場から意見を言うなど、実際にはかなり気を使う大変な仕事をされているはずだ。
㈱飯田まちづくりカンパニーの出資者は、40名だ。内訳は、飯田市30,000千円、日本政策投資銀行20,000千円、地元金融機関40,000千円、地元会社・企業88,000千円、個人29,000千円、商工会議所5,000千円、計212,000千円だ。
専従社員は、三石氏をはじめ4名いるが、いずれもこのような仕事は初めてで、全員地元飯田市出身者だそうだ。
土蔵を活かしたカフェや土産物店
わずか3時間弱の視察で、深い話を聞くことはできなかった。
しかし、3セクの資本も地元の方々が出し、専従社員も地元の方々という、「逃げられないギリギリのところでやっている」ことが、求心性を高め、事業推進の原動力になっているのではと感じた。
柏崎、飯田とも、その実行力に驚くばかりだった。
しかし、こうやって自分なりに文章にまとめてみると、「よくわからない」、「もっと聞いておけば良かった」と思うことがあまりにも多いことがわかる。
今度は、チャンスがあれば、是非、両市から講師として富士市に招き、改めて掘り下げた勉強ができればいいなと思う。
by koike473 | 2008-08-06 22:24 | まちづくり・都市計画 | Trackback | Comments(1)
詳しくはブログ参照で・・
南信州は飯田に行ってきた・その1(その3まであるよ)
http://sanokumax.exblog.jp/5994313