吉原のてんのさん
2008年 06月 17日
私は、「祇園祭」というより「吉原のてんのさん」だ。死んだ父親が言っていた言い方だ。
そして私は、この「てんのさん」にはとても複雑な思いがある。
私が生まれ育ったのは、「てんのさん」の舞台となる吉原本町から、南に500m程のところの荒田島という田園地帯=いなかの町内だ。
「吉原のてんのさん」は、吉原本町近くの5つの神社の氏子によって運営される伝統ある祭りだ。
しかし、荒田島地区は、エリア的にこれらの神社の氏子ではない。
そのため、子どもの頃、「てんのさん」は待ち遠しく、とても楽しみにしていたが、一方で吉原の街場(まちば)に住む同級生がうらやましくて仕方がなかった。
今思えば、親父が「てんのさん」の前に、「吉原の」と付けていたこと自体が、自分たちとは違う、あるいは吉原に対するあこがれのような思いが入り混じっていたように感じる。
自分はどう逆立ちしても太鼓をたたくことはできないし、屋台を引っ張ることもできない。みこしを担ぐこともできない。
一度だけ、山田自転車店(愛車「PAS」を購入した現・山田サイクル)の山田君に誘ってもらい、彼の町内である西仲町の屋台を引かせてもらったのを、今でもはっきり覚えているほど、子どもの私にとって、まぶしい「てんのさん」だった。
つまり「てんのさん」は、同じ吉原地区に住んでいても、「街場」と、それ以外の「田舎」の違いを、子ども心にはっきりとすり込み、刻み込む残酷な年中行事でもあった訳だ。
私の妻は、生まれも育ちも今泉だ。
何かあると、私は「(吉原に比べ)今泉の田舎のくせに!」、妻は「『きゃーろんまち』(カエルが鳴く田んぼだけが広がる田舎町の意味)のくせに!」と言って、お互いの田舎加減を言い合う。
「目くそ、鼻くそを笑う」レベルが低い話だが。
しかし、結婚したばかりの頃、この「てんのさん」の時期が近づくと、不思議と意見が一致した。
「まったく地方の田舎街なのに、街の奴らは気位ばかり高いだからな」、「ホントそうだよね」。
お互い子どもの頃、近くて遠い「吉原のてんのさん」に出かけ、うらやましいだけでなく、「ねたみ」も感じていたということだ。
どこかで見た3人組?
還暦記念の法被だそうです。
しかし最近は、街に住む人が減り、太鼓や屋台の伝統を引き継いでいくのも大変だ。
「法被に、『○○町』だけは町内に住んでいる人だけど、『○○町連』と書いてある人は、町内の人の友達や知り合いの人だよ」とのことだ。
改めて、この20~30年で随分変わったものだと思う。
自分は、どんなことがあっても、「連」の法被は着ることがないだろう。断言できる。
でもやはり、「てんのさん」に出かけると、この歳になっても吉原の街がうらやましかった。
by koike473 | 2008-06-17 23:51 | 市内外のイベント・行事 | Trackback | Comments(17)
我が家は、あの周辺では一番先に家を建てたようです。
そこで、町名を「南町にしますか?荒田島にしますか?」と
市役所に問われ「おてんのさんがあるから南町にするわ」と
親父が答えて南町9-3組ができたと聞かされてます。
もし、荒田島と答えてれば、南町は体育館の南の道路までで
9-2組までしかなく、小生も小池さんと同じ心境だったかも。
和田町もお天王さんに復帰するようになって3年。
国久保とか津田・荒田島や錦町・永田町も屋台を作って
引き回しに参加できませんかね?
神事はそれぞれの神社で行なうとして、
引廻しは山車・屋台が多い方が賑やかだし、
浜松は高台の方まで屋台を保有してて年々増えてるとか・・。
まずもって、子供たちと青年が一緒に太鼓の練習をするってのが
絶好のまちづくりの機会になると思いますがいかがでしょう?
屋台・山車造りに助成金を提供するとかさぁ・・・・・・。
でも、以来50有余年、「てんのさん」にはなくてはならない白落天さんですね!
私も、参加するなら、自分の町内でせいせいと参加できればと思います。
地域への愛着や、知り合いが増え、そこに住んでいること自体が、自分のアイデンティティになるような気がします。
でもどうなのかなあ、「街場」の皆さんは、そう簡単に「田舎」の町内を仲間に入れてはくれないような気がするけど?
こう思うのも、屈折した私の「てんのさん」への思いからなのでしょうか?
頑固者もいりゃぁ、物分りのいい人もいるさや。
ただ、大人が望んでも、青年や子供たちが望まないんなら、
しょんないね。
子供たちが望むんなら、今後の数百年のために今骨を折るってのも
悪くないんじゃねぇ?
百年後位のおてんのさんの最中に
「百年程前に、おらっち町内も、おてんのさんに参加できるように
骨を折ってくれた、ひょうきんな市会議員がいたさやぁ。
ありがてぇもんだぜ」なんて言われるかもしんないんだぜ。
実際、南町だって、本町通りに接してないけど、参加できてるのは
先人の苦労があって参加できてるってことかもしんないし・・・。
南町の太鼓の叩き方の直伝を受けてる男がいるんですよ。
もし、山車か屋台が出来たら、その彼が必死に教えてくれるよ。
南町には「連」の発想はなくて、
「南町の半纏を着た以上は南町の青年として振舞え」と指導し
同等に扱ってくれます。だから皆、それに応えてくれるんですよ。
若い衆は、率先して交通整理に走るし、
山車や神輿が通過する間に待たせてる車両に礼を尽くします。
もちろん、津田・荒田島から南町を通って本町通りに行くことに
とやかく言う人は、いないでしょうよ。
なにしろ、南町は平家超えまで山車が行くんだけど、
依田原4丁目の皆さんには喜んでもらってるだよ。
どの町内も宝くじ屋さんとこでUターンしちゃうのが多いんだって。
新追町の町内会長さんに「西はどこまで山車が行ったんだ?」って
聞かれ、「中央駅の西側まで」って応えたら、
「西木戸まで行かなきゃ、ダメジャン」とか言われちゃいました。
そのくらいだから、山車・屋台は多分OK。
頑張る甲斐はあると思うなぁ。生きてるうちに実現を目指しちゃどう?
テリトリー的に山車が通る分には問題なし。
問題は神輿。
そもそも何十年も和田町が出られなかったのは、その辺に原因があって、荒田島・津田の担がずの神輿も同様の話があるとかないとか・・・定かじゃないけど。
ちなみに和田町復活は2001年の四〇〇年祭がきっかけで、まー俺が道筋つけたんだけどね〜ww
それでも5社が6社になったわけじゃない。
とにかく、祇園祭に参加するためのハードルは高いけど、全く無理な話ではないと思う。
それよりも、そちらの町内の人たちがどこまで祭優先にできるかってことの方が超重要。
この祭に命かけてるヤツも多いので、生半可な気持ちじゃできないよ〜。
皆さんの、「てんのさん」にかける熱い思いがビシビシと伝わってくるコメントありがとうございます。
屈折した私の心は、死ぬまで変わらないと思いますが、それはこっちに置いといて取り組まないと、簡単には行かないことだけはよくわかりました。
荒田島を離れ14年になりますが、まずは村の同級生あたりと、一杯やりながら話をしてみようと思います。
確かに神輿は問題ですね。
山車は問題ないと思います。
頑張ってみればいいと思います。
今年も東本通り3丁目の神輿は面白かった。
本町1丁目のテリトリーにおじゃましに行こうとするのは伝統ですか?
本町1丁目から見張り番がずうっとついているんですね。
旧ヤオハンの裏で丁々発止があり、なかなか見ものでした。
確かに神輿の勢いを止めるのは命かけてるなあ、という大役ですが、
今年は東本通り3丁目の長老の口八丁にちょっとやられていた感がありました。
こんなところに注目するとおてんのさん通になれるかな?
それより本三と六軒だね〜。
ここ何年も大人しいけど、北と南で境界線が違うという構造上もめやすいのがミソ?
同じ天神社の神輿でもグルグル廻ったり、思いっきりバックしたりする町内もあって、担ぎ方にも特徴がある・・・あぁ、通になる道は果てしなく険しい!
そうそう八坂の人がひょっとこって、まずくない??
新追かと思っちゃうよ〜。
・・と人のブログで、マニアックな話題過ぎましたね〜すまんww
実は、このコメのきっかけは、六軒町の方に背中を押されたって事も
ありまして・・・、津田・荒田島からの山車・屋台の出現には
応援団もかなりいそうですから頑張って見てください。
やはり、神輿はテリトリー外に出ちゃいけないってことも明白ですね。
やっぱり神聖なものなんだなと思います。
八坂神社の横にどじょうやさんがありまして、
今はなくなったそこのおじいさんは、ひょっとこの面に
独特の粋な鉦が名物でした。
タイヤのチューブで体を柱にくくりつけて
沿道の人をからかいながらのパフォーマンスは
人気がありました。
もう20年前の話かな?
というわけで、ひょっとこは新追町だけの専売特許というわけではありませんよ(笑)
本と、他の町内のことは知りませんからねえ。
吉原通の道はるかなり、です。
私は、住まいは吉原から離れてしまいましたが、今でも生まれ育った昭和通り区にお世話になっております。
和田町さんとも、吉原復帰以前から交流を持たせていただいております。現在勤務している職場も今泉であることから、より一層の機会が増えました。
お祭りは、自分の町内が一番。他町内はみんなどきやがれ!と、イキマイテいたころもありました。それが、祭りを活性化させる意気込みであることは、今でも信じておりますが、自分自身の姿勢としましては、いつまでもガキのままではいけないと思いつつある現在です。
どちらかと言うと、競争心をあおり、ライバルとして皆が強くなっていくのが、理想です。
神輿に関しては、神事であり、きまりは厳しく、一歩も譲れない壁が自分の中にあるのが事実です。
楽しい気分で参加するものではないとも思っております。
観客や他町内の人間でも、綱を引くことは許されると思っています。
子供の気持は、なぜ吉原小学校の学区に、吉原のお祭りに参加できる町内とできない町内があるのか?体育祭はライバルとしてぶつかっているのに。ではないかとお節介にも思います。
吉原の祭りに向けて地区内と地区外で姉妹提携できないものか?と、もう、5年以上も各方面に相談しておます。
学校が仲介はできない。そもそも祭りを理解していない。責任も負えない。
吉原小のP組織が動いたら?
ある町内がモデルでやってみたら?
これはあくまで山車の引き回しに関する提案で、神事は別と考えておりますが。
それでも、友達の町内に参加させてもらうことは大抵の町内で受け入れてくださっていることですし、大人も大歓迎してくれるところが大半です。
ですが、自分から、個人的に仲間に入れてほしいと、子どもならばなおさらに、言い出せないと思います。
小池さんの思いを知って、お会い出来る機会がありましたら直接お話しさせていただきます。
ありがとうございます。
神事と山車は、基本的に違うのですね。よくわかりました。
私が育った荒田島地区でも、「吉原のてんのさん」の仲間に入ってやりたいと思っている人が何人かいます。
そんなことも含め、一度お話できるといいですね。
よろしければ、私のアドレスに連絡いただければと思います。
koike473@ab.thn.ne.jp
です。
よろしくお願いいたします。