撤去された第二東名「NEXCO」の看板
2008年 02月 14日
市役所からも見えていたものが、今では、どこにあったのか、その場所さえもわからないほどだ。
新聞では、「3月末までに撤去」、「8月頃まで」等と出ていたが、あっと言う間の対応で、富士市民としてはとりあえず良かった。
私は、景観面と富士山の世界遺産登録への動きの面から疑問を呈したが、特に景観の面では残念に思うことがあった。
学生時代、私は造園学科の「風景計画研究室」に所属していた。「風景」、「景観」という言葉のかっこよさに引かれて選んだゼミだが、30年近く前のその頃は、学問分野としてもまだ確立されておらず、また世間一般でも今ほど重要視されていなかったように思う。
そんな中で、「景観」に関する本を読んだり、シンポジウムに参加したりすると、必ずと言っていいほど出てくるのが、「日本道路公団」の職員や、公団を経て大学に戻った若手研究者の方々の名前だった。
道路を運転していて見える景観(道路内景観)、道路を建設した場合、市街地などから見える道路の橋梁や法面などの景観(道路外景観)等の観点から、「良い景観」を追求していた。
つまり、「景観のあり方」に関する研究では、日本のトップを日本道路公団(=現在のNEXC0中日本など)が走っていた。
当時の若手研究者の方々は、今では景観学の重鎮となっている方も多い。
そんなことで、「道路公団=景観のエキスパート」というイメージが強かったので、今回のことは、なおさら残念に思っていた。
一方、第二東名(正式には新東名高速道路)そのものの役割は、とても重要だ。
他の高速道路を走ると、現東名の異常な車の多さに驚く。現東名はパンク寸前だ。
それと災害時の交通確保。私は、前職で12年間、富士⇔清水を車で行き来したが、興津の薩捶峠(さったとうげ)付近の事故や台風で、何度か自宅に戻れなくなるような危険な目に会った。
現東名、国道1号、JRなどの国土幹線が、地形や地質的に脆弱な1箇所に集中し、一度事故が起きれば、県民生活ばかりでなく、日本全体の社会活動に大きな影響を及ぼす。
そんな時にも、確実に県内、東海道の交通を確保できるのが第二東名のはずだ。
それともう一つ。第二東名のICなどを中心とした「まちづくり」の推進だ。
富士市でもICを拠点に考え、市内だけでなく富士地域の道路交通体系を再構築しようとしている。また、そうしたアクセス道路などの整備に併せ、区画整理などを進め、新たな企業立地や住宅地の整備も、時間はかかるが進んでいる。
平成24年度中には、静岡県内のほとんどの区間は使えるようになる予定だ。
今回の看板の件をきっかけに、改めて「新東名」の重要性を思った。
by koike473 | 2008-02-14 22:57 | 富士市内各地の風景 | Trackback | Comments(0)