市役所東側広場の解体工事
2007年 12月 15日
「広場」と言ってもピンとこない人が多いと思う。石が敷き詰められていて、スロープで市役所の2階に続く広場だ。でもほとんどの市民はこの広場を使ったり、ここから市役所に入ったことがない。
私は、一度だけ使ったのを覚えている。中学3年(吉原一中)の時、修学旅行から夜遅く帰ってきて、解散式をやったのがこの広場だった。
今の庁舎ができてから35年以上経っているが、この広場は他にどんなことに使われてきただろう。
こんなに市民に使われない広場だが、「造園」や「建築」の世界では評価が高いようだ(った?)。
私が大学に入学したばかりの頃、図書館で専門書(「外部空間の設計」という書名だった)をパラパラめくっていたら、この広場の紹介ページがあった。
「都電の線路の敷石を使った市役所庁舎に続く広場?」のようなタイトルで、写真や図面入りで紹介されていた。「へー、すげーじゃん」と思った記憶がある。
今後2~3年かけて、庁舎へのアプローチをよりスムースにするために、建物の外から2階まであがるエスカレーターを取り付ける工事を行う。
そのために既存の通路(橋)をはずしたり、広場をその工事の資材置き場などに使うために解体工事を行っている。
広場スペースの今後の利用方法は、まだ未定だ。
私は、富士市役所の庁舎は、県内の市町村の中で、一番市民をバカにした庁舎だと思っている。
設計思想は、専門書にも載るほどすばらしいのだろうが、市民の誰もがこの「正式な玄関=石畳広場と2階の入り口」を使わない。
みんなが、住宅で言えば、勝手口、裏口に当たる「通用口」を使っている。北側や西側の陽が当たらず暗く、狭い入り口に、全ての動線が集中する。
おまけに朝の10時頃からは、ソバやカレーのにおいが立ち込めている。
前職で、打合せや営業で県内ほとんどの(南伊豆町以外は)庁舎に行ったが、これほどの所はなかった。
どんな小さな村(今は合併し村は県内にないが)でも、メインの入り口はそれなりに広々して明るく、ロビーがあって、「よくいらっしゃいました」と出迎えてくれていた気がする。
設計者に言わせれば、「こんなに、誰もが自動車で市役所に来るとは思わなかった」と答えるだろう。事実、自動車に頼り切ったまちだからと言えば、仕方がないのかもしれないが・・・。
愚痴ばかりになってしまったが、せめて広場の跡地利用については、有効に使われるよう注視していきましょう。
by koike473 | 2007-12-15 01:42 | 公共施設マネジメント | Trackback | Comments(0)