ゲートボールのスポーツ祭と富士高での進路講話
2007年 10月 13日
夕べ雨が降り、今朝は雲が垂れ込み、寒さを感じるような天気だった。
案の定、雁公園に行くと、ゲートボール大会の参加者は、多くがウインドブレーカーを着て準備をしていた。

8:30から開会式が始まったが、整列した中にはマフラーをしたり、ジャンバーを何枚も重ね着している方もいて、冬が近づいてきたのを改めて感じた。

私は、開会式で一言あいさつをさせていただいた。
その後、ゲームが始まり、協会の顧問や幹部の皆さんと話をしたが、ゲートボールは最近、高齢の方が減少傾向にあるそうだ。しかし、8月の「ジュニア大会」に行った時も聞いたが、富士市では10数年も前からジュニア層の開拓に力を入れ、それが随分効果を上げているようだ。
参加者の中に、やけに若いグループ(20~25才位)がいたが、彼らがジュニアの1期生だそうだ。そして、彼らが中心になり、現在は小学生の指導を行っているとのことだ。


また、参加チームは大半が地区単位(例えば「今泉」、「須津」など)での参加だが、1チームだけ「ジヤトコ」があった。「ジヤトコ」は最近できたそうだが、50代以下の企業チームが誕生したことになり、ジュニア層と併せ、更にゲートボールの裾野が広がることにつながればいいのだが。
午後からは、冨士高に出かけ、「進路講話」を行った。


3ヶ月ほど前から頼まれていた講話だ。ずっとどんな内容にするか迷っていたが、「職業としての『まちづくり』」をテーマに話をした。
3年5組の理系クラスの40人位が対象だ。
この約1週間、時間を見つけては写真等を集め、パワーポイントでプレゼン用の資料に取りまとめてきた。しかし学校に行くと、会場のLL教室のプロジェクターが暗い(光が弱い)。また窓のカーテンも薄く、生徒席からは画面がほとんどわからない。
画面はあきらめ、急遽、データを紙に印刷してもらい、全員に配布の上、講話を始めた。
私自身の中高校生の頃の富士市に対する思い、その後の大学、社会人、NPOでの活動、そして市議会議員となった現在までの話をさせていただいた。
子供たちの中には、途中から机に突っ伏して寝ている子もいた。「なんだ、受験や進路に直接関係ない話じゃん、つまんねー」という感じだろうか。
申し訳ない気もしたが、自分としては、大げさに言えば改めて自分の半生を振り返る機会となり、大変ありがたいことだった。

少し場所は変わったが、30年以上前、私も毎日汗を流したハンドボールコート


今日は、テスト前ということで、2人の部員だけでシュート練習をしていた。がんばれよ!
富士東高のPTAでは、私は「職業講話」を運営する立場だが、講師の立場になると、50分間子供達を引き付けながら話をするのは大変なことだ。
市議会議員としては、なお更のこと、話術も磨かなければ!
by koike473 | 2007-10-13 22:55 | 教育 | Trackback | Comments(2)