山神社と津田・荒田島

 今日は、朝8:00から自分が氏子になっている山神社の清掃に出かけた。
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 場所は、吉原の荒田島だ。私は、荒田島2丁目で生まれ、育ち、36歳まで暮らしていた。
 荒田島は、吉原の南側に位置する旧「島田村」に含まれ、中でも「津田、荒田島1丁目、荒田島2丁目」は、1つの地域としてまとまりがある。
 昔からの農村地帯であり、私の家の大家は津田にあり、私の父は荒田島にあった大家の田んぼを分けてもらい、そこに家を建て私が生まれた。
 現在の公会堂も「津田・荒田島1、2丁目公会堂」と、3町内合同で建てたものだ。

 山神社は、私にとっては遊び場でなかったが、「お宮さん」、「山の神さん」と呼ばれ、地域の誰もが知っている場所だった。

 神社にも「浅間神社」、「八幡神社」、「稲荷神社」等いろいろあるが、「山神社」とは何を祀った神社か?
 ウィキペディアによれば「農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の他界に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる年神も山の神と同一視される。ほかに、山は農耕に欠かせない水の源であるということや、豊饒をもたらす神が遠くからやってくるという来訪神の信仰との関連もある。」
 やはり、農村地帯ならではの「農耕の神」と言ったところだろうか?
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 この山神社の氏子は、「上」、「中」、「下」の3地区に分かれており、その3区分は、現在の町内会を横断する形でくくられているところも興味深い。

 これまでは、神社がある荒田島2丁目のおばあさん達が定期的に掃除をしていたそうだ。しかし高齢化が進み、大変になってきたため、氏子がそれぞれ交替で毎月第一土曜日(先週は防災の日だったので今月は今日になった)に掃除をすることにしたそうだ。
 このような形での掃除は先月(8月)からであり、私も同級生から聞いて出かけた次第だ。
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みんな歩きや自転車で来て、帰って行く。こんな姿を見ると、地元の神社らしくてホッとする。


 私は市議会議員になり、市政全体のことを考え、チェック、提案していくことが第一の仕事だ。
 そして駿河台をはじめとする今泉地区と、この津田・荒田島地区については、自分が住んでいる地区、育った地区であり、その地区の皆さんの代弁者として、精一杯活動していかなければならないと改めて思った。

by koike473 | 2007-09-08 23:51 | 津田・荒田島 | Trackback | Comments(0)  

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