慶応大学ラグビー部夏合宿

 11日の山梨行きの最大の目的は、慶応大学ラグビー部の夏合宿を見学することだった。
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 私は学生時代、「ラグビー観戦」にのめり込み、学生ラグビーを中心に秋から冬にかけては、毎週と言ってもいいほど、秩父宮ラグビー場や国立競技場に通った。

 その頃、関東では本城(早稲田)、関西では平尾(同志社)というスター選手が現われ(その上、この2人はルックスも良かった)、現在のサッカーとまでは言わないが、当時のサッカーなど足元にも及ばないほどラグビーの人気は高かった。
 特に関東では、その戦法の違いから「横の早稲田、縦の明治」と言われる早明戦は、毎年国立競技場が満員となる6万人以上の観客を集め、チケットは抽選でなければ買えなかった。
 私はそんな中で、慶応大学のファンだった。早稲田や明治は、高校時代に全国大会で活躍した選手をスカウトし、早稲田は快速の「黄金のバックス」、明治は力づくで押し込む「前へ!のフォワード」が特徴で、有力な選手がゴロゴロいた。
 それに引き換え慶応は、全国大会に出場した選手はほとんどおらず、素人目にも早明に劣っているのは明らかだった。特に、華麗なハンドリングや走力が求められるバックスは素質がものを言うようで、慶応はどの試合を見に行っても、ボールをポロポロ落としてばかりいた。
 しかし、タックルやスクラムは、練習を積み、相手に負けない気迫で臨めば何とか勝負になるとの考えで、フォワード中心のしつこいディフェンスのラグビーが特徴だった。
 バックスには球はほとんど回さず、フォワードが相手ディフェンスにねじ込むように当たっていくスタイルは「片肺飛行」と揶揄されもしたが、気迫を前面にしたラグビーは「魂のラグビー」と呼ばれていた。
 私が学生の間は、全国でも関東でも優勝できなかったが、ロースコアで、最後まで目が離せないナイスファイトのゲームを見せるチームだった。
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昭和59年の早慶戦のチケット。社会人になっており、チケットは買えたものの、仕事で観戦に行けなかったが、この年、関東大学対抗戦グループで慶応は全勝優勝した。しかし全国大学選手権では準決勝で、同志社に「幻のスローフォワード」と語り継がれる2点差(?)で負けた。しかし、翌年、大学選手権を制し、更に社会人NO1のトヨタ自工を破り、日本一に上り詰めた。

 話が長くなったが、そんな素人集団を徹底的に鍛えるのが、「地獄の山中湖」と呼ばれる夏の合宿だ。
 ラグビー部のHPには、「今年の合宿は、『地獄』が復活し、怒鳴り声と泣き声が夜も聞こえてくる」というファンの書き込みもあった。
 しかし、私が行った時間には、「地獄」など無縁の(と言っても甘い訳ではない)、素人の私が見ても極めて効率的で、集中力を切らさないよう工夫されたプログラムの練習をしていた。
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 今年の慶応のバックスは、「大学一」と評判が高い。カラダが大きく、能力が高い選手が多い。9月から始まる公式戦が楽しみだ。

by koike473 | 2007-08-18 00:18 | ラグビー他スポーツ | Trackback | Comments(0)  

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