70年にわたり田子浦地区で営まれている「中国人殉難者慰霊祭」

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 2日(日)は、田子浦の中丸平松墓地で行われた「中国人殉難者慰霊祭」に出席した。

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 中丸平松墓地は、田子浦漁港からシラス街道を西に向かい、浜通りを入った海岸堤防沿いにある共同墓地だ。

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 第二次世界大戦末期に、富士川の河口近くの左岸側に陸軍によって富士飛行場の建設工事が行われた。

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 この際、中国人労働者504人が編入され、劣悪な労働・食料事情で52人が亡くなった。

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 地元の田子浦村の人々は、軍の監視の目を盗んで握り飯などを中国人労働者に与えたり、また亡くなった方々のご遺体を共同墓地に受入れ、さらに戦後、中国への遺骨の帰還後も慰霊祭を継続してきた。

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 また令和元年に富士市が中国の嘉興市(浙江省)と国際友好都市を締結した以降は、富士市日中友好協会と地元・中丸浜区が共催し、8つのお寺から成る田子浦仏教会の協力を得ながら開催している。

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 主催者としてあいさつする海野庄三日中友好協会会長。

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 私は、今回の慰霊祭に出席するまでこうした事案・経緯を知らなかった。

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富士飛行場建設にあたっては、用地確保のために、陸軍によって田子浦村の約230戸のお宅の強制的な移転が行われたそうだ。

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 自分たちにとって非常に厳しい状況の中であっても、田子浦の人々が取られてきた行動は、国を越えた「素晴らしい人間性のあらわれ」だと思う。

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国と国との関係がギクシャクしている現在、このような時であるからこそ、「実はこんなことがあったんです」、「今でも慰霊祭を毎年継続し、故人を悼(いた)んでいます」ということを広く伝えていくことが重要だと実感した次第だ。


by koike473 | 2023-07-05 08:04 | Trackback | Comments(0)  

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