故・勝亦正人氏の意志で「富士市の環境保全のため」にご遺族が100万円の寄付
2020年 05月 26日
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昨日は、3月に亡くなった元市議会議員で、私の後援会長を務めていただいた故・勝亦正人氏のご遺族が、市に100万円を寄付された。
写真は、今朝の静岡新聞。
施主であり獣医であるご長男は、ちょうどこの時間帯に以前より手術の予約が入っており、お孫さんと奥様で、小長井市長に手渡した。
勝亦さんは、市議会議員になる前、約30年間の市職員時代、大半を公害課職員として勤務された。
昭和40年代は、富士市が「公害のデパート」と言われた時代で、製紙工場等から排出される煤煙、排水等により大気汚染、悪臭、水質汚濁、地下水汚染、騒音・振動等、あらゆる公害が問題になっていた。
そんな時代に、市内の企業と話し合いを進め、昭和50年3月までに大気汚染物質である硫黄酸化物の目標値濃度を0.03ppmまで低下させるという「富士503計画」を策定し、達成した市の中心メンバーが勝亦さんだった。
当時、県庁には相談できる専門の体制がなく、発足したばかりの環境庁と直接やり取りし、国の基準(0.05ppm)よりさらに厳しい基準を定め、取り組むのに相当のご苦労をされたと聞いている。
その後、市議会議員になってからも環境審議会委員を長く勤め、平成17年には環境保全功労者受賞を当時の小池百合子環境大臣(現・東京都知事)から受けられた。
葬儀には800名以上の多くの方が弔問に訪れ、寄付は「市の環境保全活動に役立ててほしい」という故人の遺志によるものだ。
市では、市内に設置している大気汚染監視測定局(測定機器)を更新する原資として活用させていただくとのことだ。
それも勝亦さんの母校である大淵中学校の敷地内に設置する機器だそうだ。
先輩・後輩の議員として活動された小長井市長も、感慨深く思い出を話された。
私も一枚、一緒に撮っていただいた。
コロナ禍の影響で、「勝亦正人氏をしのぶ会」の目途も立っていないが、開催の際には、是非こんなことも皆様にご披露できればと思う。
by koike473 | 2020-05-26 08:40 | Trackback | Comments(0)