計20代の住職の口伝による古文書 「東泉院 聖教(しょうぎょう)の世界」

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 2日(土)は、六所家総合調査シンポジウム「東泉院 聖教(しょうぎょう)の世界」を聴いた。
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 会場は、座席数以上の参加者、多くの歴史ファンでいっぱいだった。
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 吉原公園の東側にある六所家は、江戸時代まで東泉院(とうせんいん)という真言宗の寺院だった。
 平成18年に六所家所蔵の資料が富士市に寄付され、19年度から「六所家総合調査委員会」が組織されその歴史的資料の調査が進められている。

 資料は4万点余に及び、調べるにつれて予想以上に貴重な資料が多くあることがわかってきているそうだ。

 このシンポは、現段階までに解明された東泉院の「聖教(しょうぎょう)」=「経典の注釈書や、寺院での行事や儀礼の次第や作法を記録した文書」を紹介するものだった。
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 東泉院は、空海から始まる真言密教の主流である「醍醐三宝院流」の重要な寺院だったそうだ。

 20代続いた住持(=住職)は、代々「口伝」(口伝え)で真言密教の考え方やしきたり等が伝えられた。
 何人かの住持がそれらを書き残しており、最後(20代目)の蘂雄(ずいゆう)住持が「聖教目録」としてまとめたそうだ。
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 ちなみに、この蘂雄(ずいゆう)住持が、明治時代になって「六所良邑」さんに改名し、六所家初代となったそうだ。
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 この目録をもとに、膨大な資料を整理してきた結果、大変貴重な史料であることがわかったそうだ。
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 調査チームのリーダーである名古屋大学の阿部教授によれば、「真言密教の『知の体系』そのもの」とのこと。
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 ただ、歴史や密教の基本知識がない私には、とても難しい講義だった。

 昨年、吉原本宿講座(TMO吉原主催)で「富士山修験道」の話を聴いた大高先生も講演された。
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 修験道と密教の結びつきが強かった話は、その時も伺った。
 東泉院も、当初は修験道本山派の寺院としてスタートしている。
 しかし自宅に戻り資料を見ると、天台宗に関係が強かった修験道本山派の東泉院が、その後は真言宗の寺院になっている。
 どうして?
 なんだか興味が湧いてくる。

 それにしても歴史ファンの多さには驚いた。
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 一方で次回は、基礎知識が足りない一般市民にもわかりやすい「東泉院の歴史」的な催しがあったらと感じた。

by koike473 | 2013-02-04 07:52 | 歴史・文化・芸術 | Trackback | Comments(0)  

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