NPO法人コミュニティシンクタンクふじの解散総会
2009年 06月 02日


NPO法人としては平成15年5月に設立したので、ちょうど6年間活動したことになる。
もともとは、現在の鈴木市長が平成14年1月に就任した際の、「市民の意見・提案と市役所の考えをぶつけ合わせ、その中からより良い施策を見つけていけるような市民提案を取りまとめる民間シンクタンクがあってほしい」との発言がきっかけでできた組織だ。
私は、その検討段階から参加したので、計7年間関わった。
以来CTTFは、富士市からの委託調査を中心に「補助金交付制度調査」、「市民満足度調査」、「公共交通のあり方調査」など、さらに平成19年度は、総務省から携帯端末を活用した「児童見守りシステムモデル事業」など40数件の委託を受け、活動してきた。
私自身も、理事として「海交流2004社会実験事業」、「いきがいセカンドライフ開拓・参加促進事業」などを担当するとともに、平成17~18年の約1年間は事務局長も兼務した。
中でも記憶に残っているのは「いきがいセカンドライフ開拓・参加促進事業」だ。
これは、団塊世代の方々が退職し、第2の人生を歩み始める中で、これまで培った能力、経験を市民活動等に生かしてもらうことにより、当人、地域、社会全体がウイン・ウインの関係になればと、平成17年度に自主研究事業(「市民活動シニアインターンシップ実験事業に関する基礎調査」)として始めたものだ。
試行錯誤の連続だったが、4年目を迎えた昨年(20年度)から、市内に広く知られるようになり、多くのシニア層の方々に活用(相談、紹介)いただけるようになった。

解散総会には、ある意味で生みの親である鈴木市長も来賓として挨拶をいただいた。
「設立当時はNPO法人の数も少なかったが、今では様々な分野で活動する法人が増え、そうした皆さんから市民感覚の提言をいただけるようになりました。CTTFには6年間で十分な役割と成果を出していただき、本当にご苦労様でした」

また児嶋理事長からは、「CTTFはこれで解散するが、メンバー個人が、それぞれの立場でこれからもまちづくりに関わっていただきたい」との強い思いを込めた話があった。
振り返ってみれば、私が市議選に出ようとした大きな理由の1つもCTTFにある。
以前からNPO(ふじ環境倶楽部)で活動をしていたが、CTTFでの活動を通じて、なおのこと市民活動の力や可能性と、それを支える「社会的なしくみ」の重要性を感じたからだ。
しかし、「市長の公約で・・・」、「素人集団のくせに・・・」、「どうしてCTTFに委託事業が・・・」など、様々な意見を受けながらの6年間だった。
私は選挙の前に理事を退いたが、児嶋理事長はじめ、直接矢面に立つ理事の皆さんはずいぶん大変な思いをしてきた。
私としては解散した今、客観的に振り返り「70点」の「合格点」をつけたい。
一例を挙げれば、最初の事業として取り組んだ「補助金交付制度調査」の成果だ。
これまで既得権益化していたものも多い各種補助金を、市民の視点で審査し、その必要性等を提言した事業だ。市長のそうした見解がベースにあったからだが、これまで削れなかった相当金額の不要な補助金の削減と、逆にこれからの富士市に必要な補助金を提言した。
またもう一つの例としては、各種の事業で行ったアンケートだ。
通常の郵送で送りつけるアンケートだけでなく、会員のネットワークを活用し、個別面談型のアンケートを導入し、消されがちな一人ひとりの市民の声を集めることができた(それを、どうまちづくりに反映するかは行政の姿勢によるところが大きい)。
これらの例は、一つの事業であり、また調査手法の一つにすぎないが、共通して言えることは、全ての事業において、これまでにない「より多くの市民の目を入れた」ことであり、それによる効果は一定量あったと思う。 そしてそれが今後じわじわと多方面に出てくることを期待している。
こんな形でCTTFは解散した。
しかし、メンバーの何人かが関わる形で、新たな市民団体を立ち上げた。
その一つに「一般社団法人 まちの遊民社」がある。

軌道に乗ってきた「いきがいセカンドライフ開拓・参加促進事業」をきっかけに、「中高年」と「青少年」が、もっと「まちにかかわる」ことをコーディネートしていこうとする団体だ。
CTTFの「魂」を、こうしたいくつかの団体が是非引き継いで欲しいし、私も応援していきたい。
by koike473 | 2009-06-02 23:57 | NPO・市民活動 | Trackback | Comments(0)