父親ソフトボール

 今日は、富士川緑地公園で、静岡県父親ソフトボール大会の富士市予選会が開かれた。
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 私が住む駿河台3丁目は、この大会の予選を兼ねた春の今泉地区大会で優勝し、何年振りかで市の予選会に出場した。
 市内各小学校区から計17チームが参加して行われた。
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 私は、駿河台3丁目チームでも控え選手だ。町内には30代の若手から60歳に手が届く人まで長年野球やソフトボールをやってきた人が多く、私が入る隙間もない。
 しかし他の地区は、大半が小学校区内の選抜メンバーでチームを編成し、ユニフォームが統一されていないのは、我が今泉小校区だけだった。
 それでも田子浦小学校区と対戦した1回戦は、結果だけ見れば「5-8」の接戦だが、あえなく敗退してしまった。
 「父親ソフト」で、出場選手のほとんどは中年太りのメタボ軍団だが、勝ち進むチームはまるでプロ野球の選手のように見える(実際比べたら「月とすっぽん」だろうが、素人の私にはそう見える)。サインプレイやゲッツーもバシバシ決まり、見ていて気持ちがいい。
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ソフトボールならではの1塁ベース・・・左側の守備用ベース(白)、右側の打者走者用ベース(オレンジ)


 今日は曇りで富士山が見えなった。
 「富士山観光交流ビューロー」の検討の中でも、スポーツ観光の振興が大きなテーマになっている。
 富士川緑地公園は、富士市のスポーツ観光の中核をなすエリアだ。今年は、その更なる活用のために、緑地公園の再編可能性を視野に入れた基本構想策定調査が進められている。
 「観光交流ビューロー」という新たな推進組織の設立・稼動とともに、その受け皿の1つとなる新たな富士川緑地公園の整備・活用が急務だ。

# by koike473 | 2007-08-19 23:13 | 駿河台三丁目 | Trackback | Comments(0)  

富士高同窓会と元気な団塊世代

 今日は、富士高の同窓会(富友会)があった。学校全体の同窓会で、私は9年振りに出席した。前回は5年ごとの学年幹事が回ってきた年で、同級生の幹事から頼まれ、仕方なく出席した。
 今回は市議会議員になり、言葉は悪いが「営業」もあって楽しみに出かけた。
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 今年の幹事学年の中心は、私より11年上の皆さんである。昭和22年生まれのいわゆる団塊の世代の方々だ。
 開会のあいさつに立ったSさんは市役所職員だが、NPOふじ環境倶楽部の生みの親とも言えるユニークな方だ。
 「我々は60歳を迎え、『これからどうする?』が同級生の再会のあいさつのようになったが、まだまだ何かに挑戦しながら生きていこう」とあいさつされた。
 あいさつを聞きながら、改めて「今の60歳は本当にまだまだ若いよな」と思う。そういった意味では、NPOコミュニティシンクタンクふじで一昨年から取り組んでいる「シニアインターンシップ事業」・・・定年退職したシニア層の皆さんが、これまでの経験や能力を生かしながら、市民活動や再就職、起業などにスムースに取り組めるよう仲介やバックアップする仕組み・・・が必要だ。
 10月28日(日)には、シニア層の皆さんと市民団体などが顔合わせする「(仮)セカンドライフ ちょっと見学・交流会」を企画している。是非、多くのシニア僧の皆さんにお越しいただければと思う。

 記念講演をされた松浦 節氏(小説家・元富士高校教諭)のお話も、とてもよかった。第26回歴史文学賞を受賞された「伊奈半十郎上水記」を、さっそく読んでみよう。

 同窓会の一環として、デザイナーだった故望月一義氏の作品展が会場で行われた。
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 望月氏はS氏等と同じ幹事学年の方だが、平成14年にお亡くなりになっている。今春、作品展が富士芸術村で開かれることは聞いていたが、ちょうど選挙の期間であり、結局行けなかった。
 小学生の頃からの絵やスケッチ、版画、ポスターなどさまざまな作品があった。中でも中学生時代(何と吉原一中も先輩)に取り組んだ「静岡県の地質調査」のとりまとめ記録には驚かされた。私が中学時代に教わったK先生(今はT中の校長)とともに、県内を汽車で歩き回り、大量の石などを採集し、図解入りでレポートしている。
 飽くなき好奇心と、それを整理し自分なりの形に残す能力は、このような小中学校の子供の頃から培われのだろう。
 帰りに、望月氏の作品を取りまとめた写真集のプレゼントに応募してきた。当選して送られてくるのが楽しみだ。

# by koike473 | 2007-08-18 22:44 | 季節・四季・日常 | Trackback | Comments(0)  

慶応大学ラグビー部夏合宿

 11日の山梨行きの最大の目的は、慶応大学ラグビー部の夏合宿を見学することだった。
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 私は学生時代、「ラグビー観戦」にのめり込み、学生ラグビーを中心に秋から冬にかけては、毎週と言ってもいいほど、秩父宮ラグビー場や国立競技場に通った。

 その頃、関東では本城(早稲田)、関西では平尾(同志社)というスター選手が現われ(その上、この2人はルックスも良かった)、現在のサッカーとまでは言わないが、当時のサッカーなど足元にも及ばないほどラグビーの人気は高かった。
 特に関東では、その戦法の違いから「横の早稲田、縦の明治」と言われる早明戦は、毎年国立競技場が満員となる6万人以上の観客を集め、チケットは抽選でなければ買えなかった。
 私はそんな中で、慶応大学のファンだった。早稲田や明治は、高校時代に全国大会で活躍した選手をスカウトし、早稲田は快速の「黄金のバックス」、明治は力づくで押し込む「前へ!のフォワード」が特徴で、有力な選手がゴロゴロいた。
 それに引き換え慶応は、全国大会に出場した選手はほとんどおらず、素人目にも早明に劣っているのは明らかだった。特に、華麗なハンドリングや走力が求められるバックスは素質がものを言うようで、慶応はどの試合を見に行っても、ボールをポロポロ落としてばかりいた。
 しかし、タックルやスクラムは、練習を積み、相手に負けない気迫で臨めば何とか勝負になるとの考えで、フォワード中心のしつこいディフェンスのラグビーが特徴だった。
 バックスには球はほとんど回さず、フォワードが相手ディフェンスにねじ込むように当たっていくスタイルは「片肺飛行」と揶揄されもしたが、気迫を前面にしたラグビーは「魂のラグビー」と呼ばれていた。
 私が学生の間は、全国でも関東でも優勝できなかったが、ロースコアで、最後まで目が離せないナイスファイトのゲームを見せるチームだった。
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昭和59年の早慶戦のチケット。社会人になっており、チケットは買えたものの、仕事で観戦に行けなかったが、この年、関東大学対抗戦グループで慶応は全勝優勝した。しかし全国大学選手権では準決勝で、同志社に「幻のスローフォワード」と語り継がれる2点差(?)で負けた。しかし、翌年、大学選手権を制し、更に社会人NO1のトヨタ自工を破り、日本一に上り詰めた。

 話が長くなったが、そんな素人集団を徹底的に鍛えるのが、「地獄の山中湖」と呼ばれる夏の合宿だ。
 ラグビー部のHPには、「今年の合宿は、『地獄』が復活し、怒鳴り声と泣き声が夜も聞こえてくる」というファンの書き込みもあった。
 しかし、私が行った時間には、「地獄」など無縁の(と言っても甘い訳ではない)、素人の私が見ても極めて効率的で、集中力を切らさないよう工夫されたプログラムの練習をしていた。
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 今年の慶応のバックスは、「大学一」と評判が高い。カラダが大きく、能力が高い選手が多い。9月から始まる公式戦が楽しみだ。

# by koike473 | 2007-08-18 00:18 | ラグビー他スポーツ | Trackback | Comments(0)  

わきみず寺 灯籠流し

 今日(16日)は夕方から、妻の実家である法雲寺(まちの駅「わきみず寺」)に出かけた。お盆の最後の行事である「灯籠流し」が行われた。
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 日中は、多治見と熊谷で日本新記録の40.9℃にもなる猛暑だったが、今泉では陽が落ちる頃には雨がパラパラと降り、幾分涼んだような気もした。
 藤田住職(まちの駅の駅長)の読経の中、境内から湧き出す「わきみず」が流れる水路に、檀家の皆さんがそれぞれ灯籠を流す。境内の中だけなので延長70~80m程度だが、先祖の霊に祈りつつ灯籠を流す風景は、日本の夏そのものだ。
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 ところでこの灯籠、ロウソク以外は全て紙でできており、富士市内(の紙加工会社)で生産されているそうだ。こんな風情いっぱいの紙製品を、それこそ「富士ブランド」としてPRしていきたいものだ。
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 また今後は、すぐ近くを流れる田宿川でも、こんな灯籠流しができれば、水辺が一層引き立ち、先祖の供養をしながら、清流を改めて感じることにつながると思う。

 清流と言えば、その水源は富士山の湧き水だが、灯籠流しが始まる前、一口水を飲もうと「湧き水コーナー」に行くと、ペットボトルに水を詰めている家族がいた。
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 話している言葉がなんとなく関西弁なので「どちらからおいでですか?」と聞くと、「奈良から来ました」と言う。「去年の夏休みにたまたま御殿場のホテルに泊まったら、ホテルでこの『わきみず寺』を教えてもらい寄ってもらって帰ったところ、とてもおいしかったので、今年も帰りにこちらに寄らせてもらいました」とのこと。静岡に親戚や知人がいるわけでもなく、たまたまホテルで紹介されたそうだ。
 じわじわと富士山の湧き水と「わきみず寺」が売れていくことはうれしいが、肝心の「まちの駅」について説明することを忘れた!失敗した!

# by koike473 | 2007-08-17 00:23 | 季節・四季・日常 | Trackback | Comments(0)  

戦没者追悼式

 今日は終戦記念日。ロゼシアターの中ホールで開催された「富士市戦没者追悼式」に出席した。
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 11:50に開会し、東京・武道館で開かれている「全国戦没者追悼式」の実況放送で安倍首相の式辞などを聴きながら式は進んだ。
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 行政、議員以外の出席者は、遺族会の皆さんが大半だ。
 戦争を体験していない私は、「遺族会」と聞くと、戦争より、昭和46年に岩手県雫石で起きた全日空機の墜落事故を思い出す。やはり夏の暑い日、富士市の遺族会の皆さんが100人以上飛行機に乗っていて死亡した。私は叔父や叔母など、親戚5人が亡くなった。中学1年生の出来事だったが、市営野球場(現在のJA本店)で行われた合同慰霊祭で、並んでいたたくさんの遺影と、多くの人が泣いていた姿は忘れられない。
 こんなことを考えながら、自分を含め、「戦争の悲惨さと平和の大事さ」を「体感」している人がどんどん少なくなっていることを改めて感じた。
 私は昭和33年生まれだが、子供の頃戦争中だった父や母、あるいは軍隊に行った祖父や義父(妻の父)など、直接戦争を経験した人たちから話を聞いているので、おぼろげながらでもイメージできる。
 しかし、これからは私達の子供、孫の世代となるとどこまで伝えられるか?遺族会の皆さんも高齢化するばかりだ。

 そんなことを思いながら追悼式を終え、帰りに1階で開かれていた「2007 平和のための富士戦争展」に入った。
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 沖縄戦や長崎・広島の原爆、宮下地区(富士市)に造られた飛行場の資料や写真、証言記録などが展示されていた。読むとあまりのむごさに息が止まる。
 会場では、かつて戦争に行ったお年寄りらしき方々が入場者に、その悲惨さを語り説明されていた。また、多くの高校生がボランティアで受付や会場説明などを行っていた。
 追悼式で感じた懸念は少しやわらいだが、重い気持ちと、自分はどうしたらいいのだろう?という解決策が見つからない不安いっぱいでロゼを出た。

# by koike473 | 2007-08-15 23:33 | 市内外のイベント・行事 | Trackback | Comments(0)