2008年 10月 01日 ( 1 )

 

水郷のまち 近江八幡市の風景づくり

 今日は、8月に会派で視察に行き、書き溜めておいた「近江八幡市」(滋賀県)の話。

 富士市でも現在、景観法に基づく「景観計画」を策定中だが、近江八幡市は、この景観計画を全国第一号で策定した都市だ。
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近江八幡市航空写真
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八幡掘
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近江商人発祥のまち(現在、このエリアは「伝統的建造物群保存地区」として動態保存されている)

 また富士宮市の姉妹都市であり、富士宮の人から「琵琶湖に面し、水郷があってきれいな街だよ」と聞いていたので、どんな取り組みをしているのだろうと気になっていた。

 市役所で副議長の歓迎のあいさつを受け、また景観形成=「風景づくり」への取り組みの説明を受けたが、副議長、担当者とも女性で、とても新鮮な感じだった。

 説明を聞くと、近江八幡の風景づくりへの取り組みは半端ではない歴史がある。
  ・1585年、豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山城を築く際、その外堀として「八幡掘」が掘削された
  ・八幡堀は八幡山を囲むように整備され、両端は琵琶湖へと結ばれていた
  ・町を発展させるために、琵琶湖を通る船は必ずこの堀に立ち寄ることが命じられた
  ・それにより八幡堀に全国の物資と情報が集まり、湖上交通の大動脈として八幡商人=近江商人が大きく発展することとなった
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 つまり、水郷や堀は、自然と人為(掘削)の合作であり、商都としての基本をつくる源となったわけだ。

  ・しかし、戦後陸上交通が中心になり、八幡堀は無用の長物と化し、悪臭が漂うゴミ捨て場となった
  ・昭和40年代になると、駐車場整備や道路整備のため、埋め立て要望が住民から行政になされた
  ・昭和48年には、埋め立てが始まった
  ・だが、青年会議所が中心になり、「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」をスローガンに、全面浚渫を目標に堀の清掃作業を始めた
  ・昭和50年に、堀の全面浚渫が決定し、当時全国に例のない「まちづくり運動」としての風景づくりが始まった
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 このような、水郷地帯の堀を活かしたまちづくりは、以前視察で行った柳川(福岡県)と似ている。
 「観光のために堀を活かすのでなく、地域のアイデンティティ、地域文化を継承していくために行っているのだ」と言う説明は、とても説得力があるものだった。
 そしてそれが結果として、年間300万人の観光入込み客につながっている。
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 一方、昭和50年以降は、「滋賀県風景条例」に基づき、市内の各地域(小学校区よりもっと小さなエリア?)で「近隣景観形成協定」が締結され、近江八幡らしいまちなみ景観が維持されてきた。

 更に平成16年に「景観法」が制定されると、それに基づく全国第1号として
  ・「景観計画」・・・水郷風景計画
  ・「景観農業振興地域整備計画」・・・水郷地区景観農振計画
  ・「伝統的景観計画」
 また、文化財保護法に基づく全国第1号の「重要文化的景観計画」を策定し、それぞれのエリアにふさわしい具体的な建物、垣根、植栽などの「風景形成基準」を定め、それを守る取り組みがなされている。
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伝統的建造物群保存地区の建物と説明

 文化財保護法に基づく「伝統的建造物群保存地区」内の建物に関しては、補修するのに国の補助金が多少出るが、他のエリアは補助金制度はない。
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一般住宅の建築ガイドライン


 この風景=近江八幡のアイデンティティは、今までは良好なコミュニティの中で守られてきた風景だったが、コミュニティが弱体化したため、代わりに行政が決まりごと(景観計画)を策定し、風景づくりを行っていこうとしている。
 この考え方に、市民の皆さんが理解、納得しているからこそ、条例や協定、景観計画に基づき、具体的な取り組みにつながっているのだろう。

 ※9月議会は、あと1日ですが、今日、所属する会派の小長井会長が、この近江八幡市の風景づくりへの取り組みを事例に、「富士山の景観保全」について一般質問しました。富士市でも、近江八幡のように、本当に富士山の風景を、自分も含め市民一人ひとりが、自分達のアイデンティティと感じるか?そこにかかっている気がします。

by koike473 | 2008-10-01 23:49 | まちづくり・都市計画 | Trackback | Comments(4)