2008年 03月 11日 ( 2 )

 

ダイオキシンは人間に対して毒性はない!?

 9日(日)は、午後から「ダイオキシンの知識」というタイトルの講演会を聞きに、元吉原中学校の体育館に行った。
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 主催は、元吉原地区の鈴川海岸整備対策委員会で、講師は中部大学教授の武田邦彦氏だ。
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 現在、田子の浦港のしゅんせつ土をセメント固化し、鈴川海岸に埋め立て、公園を拡張整備する計画がある。しかし、しゅんせつ土にはダイオキシンが含まれているため、計画そのものに反対する地元の方々もいる。
 そんな中で、ダイオキシンについて、専門家を招いて勉強会を開催することになった次第だ。
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 私は、12:00から葬儀があり、それが終わってから駆けつけたので、既に開会していたが、武田教授の講演は、最初から聞くことができた。

 武田教授の結論は、「ダイオキシンは、人間にとってほとんど毒性はない」というものだった。
 流れを追って説明すると、以下のような話だ。

 かつて1980年代までは、化学物質等による環境被害・健康被害に対しては、汚染物質による被害者が認められてから、初めて被害認定がなされ、汚染物質の排出量等に関する規制値が定められていた。
 しかし、1992年の世界環境サミット(リオデジャネイロ)で「原則15」という考え方に方向転換された。「その物質による被害が認められずとも、危ないらしいとわかったら、確認されなくても規制してよい」という、「疑わしきは罰する」考え方だ。
 ダイオキシンは、この「原則15」の考えに沿った最初の頃の規制物質だった。
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 その後、イタリアのセベソ(人口6万人)という街で1970年代に発生した農薬工場の爆発事故の追跡調査の結果が発表された。
 採取されたセベソの土壌からは、当時の基準で言えば、2,000万人が死亡する量のダイオキシンが検出された。
 しかし、20年以上の追跡調査の結果、ダイオキシンが原因で死亡した人はゼロで、それが原因と考えられる障害を持つ子供の誕生もなかった。

 また、ベトナム戦争で米軍が散布した「枯れ葉剤」(「ベトちゃん・ドクちゃん」の原因と言われる)に多くのダイオキシンが含まれていた。
 しかし、1970年頃まで、日本の水田には、ベトナムの8倍に相当する濃度のダイオキシンが含まれる除草剤が使われていたそうだ。だが、日本の米を食べてダイオキシンで亡くなった人はいない。

 更に、2001年には、東京大学医学部の和田攻教授が、「ダイオキシンは人間にとって毒性はない」という論文を発表し、それは今でも学会等で反論もされず、支持されている・・・等などだ。

 結論としては、「ダイオキシンは、大昔から地球上に存在するものであり、存在がわかったのが40年前、予防的見地から規制されたのが15年位前(?)、しかし毒性がないことが判明したので、数年後には基準が大幅に緩和されるはずだ」ということだ。
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 軽々しくは判断できませんが、皆さんはどう思われますか?
 鈴川海岸だけでなく、新環境クリーンセンターの建設問題や、その他環境行政全般に大きな影響を与える見解です。
 私は、改めてダイオキシンのことを勉強しなければと思います。

by koike473 | 2008-03-11 23:30 | 環境 | Trackback | Comments(2)  

今泉の「善得寺まつり」

 昨日(9日)は、今泉地区まちづくり推進会議主催の「第19回 善得寺まつり」があった。
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 善得寺は、戦国時代に今川氏の保護のもと栄えた寺で、現在の今泉の寺市場、市場等の町内全域くらいが境内の大きな寺院だったようだ。
 そして、駿河の今川義元、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康が平和同盟となる「3将会盟」を行った寺でもある。
 当時のことは、まだ解明されていない部分も多いが、善得寺があったことは事実で、その場所の一角を、市で「善得寺公園」として整備した。
 おそらく(?)、それを記念するとともに、地区の歴史を皆さんに伝え、交流を深めることを目的に始まったまつりだと思う。

 ちなみに、善得寺は明治時代に廃寺となり、近くの法雲寺に吸収された。そんなこともあり、まつりの最初に行う供養祭では、法雲寺の住職(私の義理の弟になる)がお経をあげる。
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 今年は、住職の息子(藤田至道(しどう)と言います・・・本名です)も鐘を鳴らす役目で参加した。
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 供養祭の後、舞台を移し開会式となったが、とにかく天気が良すぎて、南向きの舞台からはとてもまぶしかった。
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 子供たちの寸劇(江戸時代、田宿川の水を田に引き込むために、水門「せぎわく」を造った中村三郎衛門の話)に続き、様々な舞台プログラムが行われた。
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 私は、葬儀があったので途中で失礼したが、今泉は歴史ロマンいっぱいの地区だ。
 この善得寺、せぎわくだけでなく、源平合戦の平家越、そして現在調査中の六所家と東泉院にまつわる「富士講」、「修験道」の歴史などなど。

 議会でも何名かが質問しているが、富士市には、富士山世界遺産登録準備のための文化遺産構成要素が、1件も認められていない。
 こんな点からも、専門家による歴史の掘り起こしと、今生きている我々自身が地域学習を進め、「自分達の富士山」という思いを強くする必要があると思う。

by koike473 | 2008-03-11 00:45 | 今泉 | Trackback | Comments(2)