忘れてはならない「権力者こそ召集を」  改憲勢力が2/3を超えた参議院選挙

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参議院選挙の結果が判明した。
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改憲勢力が参議院で2/3を超えることになった。
改憲に向けた動きが活発化していくだろう。

私は現政権下での改憲には反対だ。

立憲主義をないがしろにしていることと、そうした中で不要な集団的自衛権行使の道筋をつけつつある体制は、とてつもない脅威だ。

そんな中、以前読んだ大正デモクラシー期のジャーナリスト、長谷川如是閑が発表した「戦争絶滅受合法案」を思い出した。

「戦争絶滅受合法案」とは、要約すると以下のようなものだ。

「戦争が始まったら10時間以内に、国家元首、大統領、国家元首の親族で16歳に達した男性、総理大臣・大臣・次官、戦争に反対しなかった国会議員、戦争に反対しなかった宗教家を最下級の兵卒として召集し、最前線で敵の砲火の下に実戦につくべき」。

 また、女性では、「有資格者の妻、娘、姉妹などは、戦争が続く間、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に近い野戦病院に勤務させるべき」 。


これは、2年前の中日新聞で読んだものだ。

以下、読んでいただければと思う。

権力者こそ召集を 昭和4年の如是閑のコラムに学ぶ 

2014/7/5 中日新聞 朝刊

■「戦争絶滅受合法案」を書いた長谷川如是閑

 昨年暮れの特定秘密保護法成立から、一日の集団的自衛権行使容認の閣議決定までわずか半年余り。日本にきな臭さが増している。この変化は、大正デモクラシーからファシズムが台頭していく時代としばしば比較される。その昭和初期、「戦争絶滅受合(うけあい)法案」と題した一本のコラムが発表された。筆者は自由主義者で、新聞人の先達である長谷川如是閑(にょぜかん)。このコラムから私たちはいま何を学べるのか。

 「戦争絶滅受合法案」は、如是閑や政治学者大山郁夫らが創刊した月刊誌「我等(われら)」の一九二九(昭和四)年一月号の巻頭言として発表された。「我等」は当時、「中央公論」「改造」と並び、知識層の青年らに影響力があった。

 当時は大正デモクラシーの末期とも、ファシズムの初期ともいえる時期。世界的には大恐慌の前夜といえる。

■架空の法案紹介

 このコラムで、如是閑は冒頭、第一次世界大戦から約十年がたって、世界は再び戦争の危険に脅かされつつあると指摘する。

 この後は架空の話で、その危機から距離を置いているのはデンマークくらいであり、同国のフリッツ・ホルム陸軍大将なる人物が戦争を抑止するために「戦争を絶滅させること受合いの法案」を起草し、各国に配布、採用するように訴えていると記している。

 法案の条文では、戦争をする国が戦争行為の開始か、宣戦布告の効力を生じた後、十時間以内に以下の条件に該当する人物を一兵卒として召集し、最前線に送るよう定めている。

 その条件とは、(1)国家の元首(発表時は治安維持法に配慮して「××」と伏せ字)。君主(同じく伏せ字)か、大統領かは問わないが、男子であること(2)国家元首の男性の親族で、十六歳以上の者(3)総理大臣および各国務大臣、さらに次官(4)国民によって選出された立法部の男性国会議員。ただし、戦争に反対票を投じた者は除かれる(5)キリスト教または他の宗教の管長や僧正など高い地位の聖職者を務めながら、戦争に対して公然と反対しなかった者-の五つを挙げている。

 加えて、召集で健康状態などは考慮しないという注釈がつく。さらに彼らの妻や娘、姉妹らも看護師などとして召集し、最も戦場に近い野戦病院に勤務させるとする。つまり、戦争をすることを決めた者たちが率先し、戦場に赴くことを義務づけている。だが、こうした法案を政策決定者たちが受け入れるはずもない。

 如是閑も承知しており、コラムを「これは確かに名案だが、各国をして此(こ)の法律案を採用せしめるためには、も一つホルム大将に、『戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案』を起草して貰わねばならぬ」と結んでいる。

■現在と似た世相

 如是閑は大正デモクラシー期の代表的な論客で、当時は五十代。寺内正毅内閣の新聞弾圧「白虹(はっこう)事件」(一八年)で大阪朝日新聞を退社したことで、社会に名を知られた。

 如是閑研究の第一人者、神田外語大の山領健二名誉教授(日本近代思想史)は、如是閑の人となりについて「無類の教養人だが、生まれ育った深川(現東京都江東区)の職人世界特有の実用主義を重んじた。ユーモアにあふれながらも鋭い批判で、国家に盾ついた」と話す。

 このコラムが書かれた当時の世相は、時代が下って民主党政権の崩壊、東日本大震災を経た現在と通じる面がある。発表された前年の二八年は、どんな年だったのか。

 まず、特別高等警察(特高)が設けられ、千五百人以上の共産党員らが一斉検挙される「三・一五事件」が起きた。治安維持法改正で思想統制が強まった。

 軍部(関東軍)は欧米寄りになった中国の奉天軍閥の指導者、張作霖を暗殺。日本のかいらい国家「満州国」建国に走っていた。だが、国内では関東大震災からの復興や昭和天皇の即位の礼で、どこか浮かれた雰囲気もあった。

 「時代の転換期。三一年の満州事変まで、言論界には政府を批判する余地が残されていた」(山領氏)

 戦争絶滅受合法案については「新年号の巻頭言なので当然、二九年がどうなるのかを想定して書いている。一般人はまだ安穏としていたが、如是閑は明治からのベテラン新聞人として、時代はいつの間にか変わること、日本人の『政府を疑わない』『既成事実に弱い』という特質を熟知していた。世界では、二八年に日本も含めて不戦条約が締結された。だが、ファシズムも台頭していて、その流れに警鐘を鳴らそうとしていた」と指摘する。

 ジャーナリストの二木啓孝氏も、このコラムは現在の状況に示唆的だと語る。

 「このコラムの力点は、まず戦争の現実を想起させることに置かれている。現在、『解釈改憲』に賛成した与党メンバーで、自分や子どもを前線に立たせる者はいない。集団的自衛権は彼らには観念でしかない。だが、現実にカナダや英国では戦死者が出ている」

 二木氏は「このコラムの内容は、私たちが憲法を考える際の原点を示しているともいえる。憲法は政治家がやってはいけないことを国民が突きつけるもの。国民にとって、最も大きな災禍は戦争だ。それゆえ、政治家たちに『戦争をするなら、オマエたちが先頭に立て』と命じるのは当然のことだ。この法案自体は架空だが、いまの政権に対してあるべき国民の構えを説いている」と評価する。

■ぼうふらよ、立て

 残念ながら「戦争絶滅受合法案」発表四年後の三三年、日本は国際連盟を脱退し、三七年に日中戦争、四一年には太平洋戦争に突入。この時期も如是閑は数少なくなった媒体に書き続けるが、時代は暗さを増していった。

 如是閑は七十五歳になった五〇年に「ある心の自叙伝」を出版した。戦前を回顧し、彼はこう記した。

 「(前略)無数の凡人どもはただそれらの優れた人々の作る歴史の流れのうちに生死する、溝の中のぼうふらのようなものだ、というような見地にひどく反感をもつように育ってきた私なので、今こそそのぼうふらの無限数が絶対力をもつ時代である、私がもし野に叫ぶ何やらだったら、『溝の中の無限量のぼうふらよ、立て-』とでも呼ばわるだろう…などと、そんなことは書きもいいもしなかったが、腹の中では長いことそう思っていた…」 (田原牧)

以上だ。

「権力者こそ召集を」…今朝、私は改めてこの言葉を噛み締めている。

by koike473 | 2016-07-11 07:13 | Trackback | Comments(0)  

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