渡辺繁治先生のこと
2011年 01月 31日
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今日は、元富士市立博物館長、駿河郷土史研究会会長である渡辺繁治先生の葬儀がしめやかに執り行われた。
先生は、長く市内小学校で教鞭を執られ、私の妻は今泉小学校で受け持たれたが、私自身は生徒として教わったことはない。
私が先生のことを知ったのは10年ほど前だ。
富士市の湧き水や河川のことを調べるうちに、「昔はどんな使われ方をしていたのだろう」と思うようになり、行き着いたのが渡辺先生、というより多くの人が言う「繁治(しげはる)先生」だった。
また、私が前職で「富士市観光交流まちづくり計画」の策定や推進に関わった時は、繁治先生は「富士市観光ボランティアガイドの会」の初代会長を務められていた。
2月から岩本山の梅や桜を見てもらおうと運行した「岩本山観光シャトルバス=通称『梅バス』」には、率先して乗り込み、市内外から訪れるお客さんに、富士市や雁堤(かりがねづつみ)のことをわかりやすく、ユーモアたっぷりに説明されていた。
また「まちの駅」の取組みが始まった時は、駅長さんやスタッフの皆さんを対象にした「おもてなし講座」の講義を何度もしていただいた。
まちの駅に寄っていただくお客さんに、「富士市はこんな歴史があるまちです」ということを、どのまちの駅でも紹介できることが、富士市のまちの駅の「おもてなし」だとの考えで、吉原宿の変遷、富士山信仰、富士川の変遷と雁堤の話などの話をしていただいた。
その際は、「駅長さんが何かあれば確認できるように」と、毎回ていねいな資料を作成してお配りいただいた。
そしてこの1~2年は、私が事務局を務める「そうだ!沼川プロジェクト」にも、多くの面でご指導いただいていた。
洪水に悩む元吉原、富士岡、須津の人々と沼川の歴史、水に恵まれていそうでそうでもなかった今泉の歴史を、現場や講演会で、当時の村人のような目線で解説いただいた。
文字通り、「現役」のままお亡くなりになってしまった。
私たち以上に、またご家族以上に、先生ご本人が一番「無念」でいらっしゃるはずだ。
今はただご冥福をお祈りするのみだ。
繁治先生、本当にありがとうございました。残念でたまりません。 合掌。
by koike473 | 2011-01-31 23:29 | そうだ!沼川プロジェクト | Trackback | Comments(0)