誓願寺(静岡市丸子)と精進料理
2009年 05月 06日
私は、ほとんど自宅にこもりっぱなしで、連休明けの活動に備えた資料づくりに励みました。
今日は、そうした中で1日だけ外出らしい外出をした静岡市丸子(まりこ)の誓願寺の報告です。
全くの私事ですが、よかったら読んでください。
誓願寺は、私の妻の母(義母)の実家だ。
先代の住職(義母の義兄。妻の伯父さん)の米寿のお祝いが開かれた。
親戚一同が、大勢集まった。
私は、この伯父さんに大変お世話になった。
24年前、結婚式を仏式で挙げたが、その執り行いを伯父さんにしていただいた。
それからほぼ毎年、正月には伺っていたが、議員になってからは、これが初めての「丸子行き」だった。
伯父さんは、既に10数年前に住職を引退しているが、とても米寿とは思えない元気さだ。
あいさつで、ご自身の半生を紹介された。
太平洋戦争で南洋航行中に魚雷攻撃を受け、10数隻の船の内、自分の乗った船だけが撃沈されず生き残ったこと、タイで捕虜となったこと、帰りの船で350人中、150人がコレラで亡くなったことなど、九死に一生を得て帰還した話などは、集まった大半の人が初めて聞く話だった。
そして「祝いの膳」。
禅宗(臨済宗妙心寺派)のお寺らしく本物の「精進料理」。最初の禅は、ゴマ豆腐(左下)、青菜のぬた(左上)、コンニャク、サトイモなどいろいろ(右上)。
料理人は、孫の現副住職(写真右側)と修行で同期だった写真左側の方だ。静岡市内の他のお寺の住職だが、本山で本格的な料理の修行をしたそうだ。
カブの煮物のあんかけ
湯葉のお吸い物
てんぷらうどん
豆ご飯と味噌汁
この他に3~4品あったが、話をしたり、飲むのに気を取られ、写真を写し忘れた。
料理を堪能した後は、久しぶりに来たお寺の中を散策。
戦国時代の武将・片桐且元の墓。
且元は、「国家安康」「君臣豊楽」と鐘に刻まれた銘文が、徳川家を分断し、豊臣家の繁栄を願うものだとして、「大阪の陣」のきっかけとなったと言われる「方広寺鐘銘事件」で家康との和平交渉に奔走した豊臣方の重臣だ。
モリアオガエルの池。
よく見ると、綿状の卵が葉と池(水面)をつなぐ形で生みつけられている。「ゲロゲロ」と親ガエル(?)の鳴き声が聞こえる。
ナンジャモンジャの木。お参りに訪れた方が写真撮影。
遠くから見ると、そこだけ雪をかぶったように見える。
「初夏に突然、多くの繊細な花を付ける。その驚きと賞賛のために付いた名前」と言われているようだ。
近づくと、一つ一つの花はとても可憐だ。
誓願寺は、静岡から国道1号を藤枝方面に行った宇津野谷峠の手前にあります。
by koike473 | 2009-05-06 21:47 | 食事・食べ物 | Trackback | Comments(0)